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2026年9月8日

声報:私の論理的思考

Cobe Associe は、戦略と技術の問いを現場で検証可能な仮説に変える。

話している対象はこちらです。画像を見ながらじゃないとわけわからん話かもしれません。
参考資料:『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド

今、仕事の中で、関わっている人それぞれが「自分がどんなふうに物事を考えているか」をちょっと俯瞰して見てみましょう、みたいなことをしてるんですよね。それはお客さん側でいろんな人がそれぞれやってるんですけど、私も「はて、自分はどうやってるんだろう」ということが気になって。せっかくなら考えてみて、相手に対して何か貢献できればいいなと思ったので、自分でもやってみようかなと。

ただ、自分の考え方を考えるって、そもそも結構難しいじゃないですか。観察対象と観察する主体が混ざっちゃうので、なかなか難しいなと思いつつ、宙を眺めていてもよく分からない。なので、ホワイトボードにでも書いてみるかと思って、「これどうかな、どうかな」みたいなことをやってみました。

今回この音声がどこで流れているのか、私自身、配信元のSubstackというサービスの仕様をあんまり把握していなくて。たぶんSubstackそのもので聴く人は手元で画像も見られるのかな。メールで届いて開いて聴く人もいるのかな。メールの本文にも入るんですかね。

なんとなく想定しているのは、スマートフォンのSubstackアプリで聴いているか、あるいはApple PodcastとかSpotifyとか。そこにも配信されているはずなので。Apple PodcastやSpotifyでどう見えているのかは私は全然分からないんですけど、今回、考えたときのホワイトボードの画像をベコッと貼っておいたので、なんとなく様子を見てもらえるといいかなと思います。

できる限り、それを見なくても、せっかくのポッドキャストなので耳だけでイメージがつくように話そうとは思うんですけど、見たほうが分かりやすいとは思うので、見られる方は活用してください。

で、「考える」というときに、私自身は出身がコンサルティング会社で、その会社は結構いろんな本を出す人がいる会社なんですけど、大先輩の一人が『論点思考』という本を書いているくらいなので、やっぱり私自身、考えるときには根っこの「論点」みたいなものにすごくこだわるんだな、というのが、今回書いてみての気づきでした。

日々、いろんなことを感じたり考えたりすることはあります。「なんかこれ面白いな」とか、「こういうこと、ちょっと注意せなあかんな」とか。そういう具体的な感情に近いものから、もう少し概念的な問題意識まであります。

例えば、円安が今の倍くらいの水準、1ドル400円とかになったらどういう世界になるんだろうとか、自然災害がこうなったらどうなるんだろうとか。逆に、すごくポジティブな未来イメージとして、運転手がいなくなったときの交通ってどうなるのかな、交差点で車が行き交うとしたらどうなるんだろう、とか。ほぼ妄想に近いものもあります。

あとはピュアな概念操作というか、「市場(しじょう)」と「市場(いちば)」って同じ漢字だけどニュアンスはどう違うんだろう、みたいな。いろんなふわふわしたものはあるんですけど、それを「いざ考えよう」とするときには、よく言う「大論点」と呼ばれるものに、まず集約するというか、一つにギュギュッと圧縮していく。そういうことをするなと思いました。

「大論点について考えましょう」という話は、この業界にいるとたくさん言われますし、普通のビジネスパーソンの中でも言う人が増えている印象があります。「大論点を大事にしようよ」とか「論点を大事にしようよ」と言われたことがある人は、少なくともこのメディアに触れている人なら多いんじゃないかなと思います。

ただ、「あなたが言っている大論点は、大論点じゃないんじゃないかな。少なくとも私が思っているものとは違うな」と感じることも結構あります。

私の中で「大論点」を考えるとき、無意識的にやっているルールが二つあります。これに外れるものは大論点ではない、とみなしてしまう。

一つは、「問いの形である」ということです。最後が「?」で終わるもの、とざっくりイメージするといいと思います。

例えば、「当社は○○すべきか?」みたいなものですね。これは問いじゃないですか。一方で、「新規事業実行の是非」みたいな、名詞の形、テーマに近い表現をする人もいます。

でも私の中では、論点というのは、やっぱり議論をするポイントなんですよね。そして議論の中には何かしらの主張が含まれる。その主張に対応する質問が論点であるべきだろう、と思っています。

なので、主張がぶれやすい名詞の形、テーマに近い形よりも、「問い」の形で考えます。

加えてもう一つ。その質問に対して、どんな答えが出ようと自分にとって意味がある、あるいは誰かにとって意味がある、ということです。

プロジェクトの大論点を考えるんだったら、当然、どんな答えが出ようとお客さんにとって意味があるものになっている。それが大論点だと思っています。

どういうことかというと、その論点にある形の回答が出たら意味があるんだけど、別の回答だとあまり意味がない、というように、答えの方向によって意味の有無や重みづけが変わる質問を大論点に設定しちゃう人って、結構いるんですよね。

例えば、「私の論点は、Aという技術が注目に値するかどうかです」と。

「注目に値する」という結論が得られれば意味がありそうだけど、「注目する価値はありません」という結論になったとき、それを解いたところであなたにとって意味があるんですか、と。

もちろん、それが分かればいいということなのかもしれないですけど、やたら特定の答えに偏っている論点を設定する人もいます。

私の中では、その論点に答えると、どんな答えであれ、ほぼ同じくらいの意味を持つ。そういうものを大論点にすることが多い気がします。これは5W1H形式だろうと、Yes/Noのクローズドクエスチョンだろうと一緒です。

これはかなり感覚的な話なんですけど、私の中で「大論点」と呼ぶための大事な基準の一つです。

逆に言うと、答えによってそれだけ重みに偏りがあるんだったら、「もう、こっちだと想定してやっちゃったほうがいいんじゃないですか」と思ったりもします。かなりニュアンスっぽい話なので、まずは「私はそんなふうに捉えています」というところから始められるといいかなと思います。

次に、その大論点を「論点構造」にする。これが、私が考えるときによくやっている二つ目のアクションです。

構造化というのは、コンサルタントがやる仕事の中でも非常によく言及されるものです。「構造化」でググると、大体出てくるのがMECEですよね。「漏れなく、ダブりなく」というやつ。Mutually Exclusive, Collectively Exhaustiveです。

ただ、私が言っている構造化は、それとはちょっとニュアンスが違います。大論点を、論理的に分解していく。

何をやるかというと、「この大論点が解けた状態にするためには、何が分かったら“解けた”と言えるんだろう」ということを厳密に考えていく感じです。

例えば、「Aという予測値は、どの範囲で予測すべきか?」という大論点があったとします。

これを分解すると、「上限は何か」「下限は何か」「その間でどこをベースラインと見るか」といったものに分かれる。上限、下限、ベースラインの三つが分かったら、大論点に答えられる、と。

では今度は、「上限を特定するためには何が分かればいいのか」と考える。理論的な限界値は何か、その中で実証的に取り得る値は何か、といった具合に、「上限が解けた、と言うためには何が分かればいいのか」をさらに細かくしていく。

「何が分かれば、分かったと言えるのか」を細かくすることによって、実際に答えられるようにしていく。こういう分解です。

MECEとはまた少しニュアンスが違って、論理的な意味での関係性を作っていく感じなんですよね。

これに関連して、先週か先々週に改めて読み直していた『誤謬論入門』という、議論というものを扱うための良い入門書があります。

その中では、良い議論の原則の一つとして「良い構造を備えていること」が挙げられています。その「良い構造」とは何かというところには、関連性などいろんな原則があって、構造違反とされるものもいくつかあります。

例えば「論点先取」をしてしまうとか、論点同士が矛盾しているとか。そういうことが起きないようになっている、というのが、私の中で言う論点構造のイメージに近いですね。

構造化したものが良い形になっているか、余分なものがないか、現実的に答えられるか。そういうことをいろいろ検証していく。これが「論点構造にする」という二つ目のステップです。

ここは、私も今はある程度のクオリティではできるかなと思うんですけど、本当に最初、1年目、2年目とかは全然できなくて。「コンサルファームの先輩は、よくあんなにスラスラと論点構造を書いていくな」と、すごくびっくりしていました。

同時に、3カ月、4カ月やるプロジェクトでも、最終日の3日、4日前に論点構造をガラッと入れ替えたりもしてたんですよね。

それくらい、唯一解があるわけでもなく、本当にいろんな状況によって変わっていくものなんだな、という感じです。

なので、MECEという言葉がはらんでいる「とにかく漏れなくダブりなく、きれいに分解したらいいんや」というイメージ、「大論点をそうやって分解すればいいんだ」というものよりも、実際にはいろんな要素によって変わるものです。一意に「これが良い、これが悪い」と決まるわけではない。

ただ、明確に得意な人、苦手な人はやっぱりいます。

AIがコンサルタントを代替できるかどうか、みたいな議論はこの1、2年ずっとありますけど、この「論点構造」をAIがバチッと作れるようになるのかな、というイメージは、私は全然ついていません。

というのも、かなり熟練した、「この人優秀だな」と思うコンサルタントでも、お客さんに論点構造をめっためたにされたり、上司にめためたに言われたりしてたので。かなり水物だなという感じもするし、すごく職人芸っぽい。

私も全然まだまだなんですけど、これができないうちは「AIコンサルタント」は登場しないんじゃないかな、と思ったりもします。

少なくとも、私が物事を考えるときのプロセスでは、仕事にしろ何にしろ、この「論点構造にする」ということをかなり考えます。

「車、何買うか」みたいに、何かを決めるときももちろんそうだし、ちょっとゾワゾワっとする意見を見つけたときに、自分なりの意見を整理するときにも、大論点と論点構造を整理したりします。

論点構造をいろいろ作っていると、「世の中のこの物事を、あれと同じ構造で見たら面白い気がする」とか、「この構造を考えるためには、こういうことを勉強しなきゃいけない」とか、「あのとき聞いた話と、ここがつながるな」とか、結構いろんなものが出てきます。

なので、この構造化を頑張るというのは、最初に言った問題意識とか未来イメージとか、自分が感じることそのものを豊かにするうえでも、すごく有意義なんじゃないかなと思います。

とはいえ、構造を切ってニヤニヤしているだけでは物事は進まないので、その論点について「仮の答え」を入れてみる。

構造を作るときにすごく大事なことなんですけど、最初に言った大論点を、中論点、小論点、極小論点みたいに分解していくわけですよね。そのとき、一番下のところにだけファクトを入れたら、そこから自動的に上の答えが推論されていく形になっていないとおかしい。

それが論点構造というものなので。

一番下に何かしら仮のファクトを入れてみて、「それが事実だったとしたら、この論点にはこういう答えが入るよな」とやっていく。一番下まで仮の答えを入れると、その論点構造上、「今の時点では、大論点にはこういう答えが出るはずだ」というところまで、ガッチャンとやると出てくる。

そこから、いろいろ調べたり分析したりするわけです。

調べたり分析したりしたものは、大きく三つの経路で「考えること」に反映されます。

一つ目は、「これが分かったんだったら、そもそも論点構造を変えなきゃいけないな」というものです。

「こういうことが分かっているんだったら、わざわざこんな論点構造にする必要はない」とか、「こういうことが言われているということは、この部分は解けないことがもう分かってしまった」とか。そういうことがあります。

なので、論点構造そのものを変えにいく。

コンサルタントの人が言う「論点が進化する」というのは、調べたことによって、もともとの論点構造がアップデートされるということなので、この一つ目の経路に近いですよね。

調べたり分析したりすることによって、「もともと考えていた論点構造を、もっと別のものに変えたほうがいい」と分かる。なので、論点構造を変えるというループがあります。

特に、まだ何も分かっていない初期はこれが多い。

例えば、「じゃあ車を買いましょう」となったweek 1。車を運転した経験もそんなにないし、買うときの体験もほとんどない。そうすると、論点構造が超粗いんですよ。

「日常生活ではどうか」「ロングドライブするときはどうか」みたいに、使うことばっかり考えている。でも調べていると、「意外とリセールバリューのことが漏れてるな」とか、「自分だけじゃなく、妻が運転するときはどうなのか」とか、どんどん出てくる。

大論点が「どの車を買うか?」だったときに、「何を網羅したら、この問いに答えたことになるのか」が、どんどんアップデートされていく。

なので初期は、調べたり分析したりすることによって、論点構造そのものがガラッと変わって、元に戻るということが結構あります。

論点構造を変えると、当然、分かっていないことが新しく出てくる。そこにまた仮の答えを入れて、調べて、また論点構造を変えていく。

答えを出すためというより、「良い論点構造にするためのループ」がぐるぐる回る。初期には特にこれがあります。

それがどんどんこなれてきて、「これはいい感じの論点構造だな」となってくると、やっとそこから、答えを人に言える形、自分で納得できる形へ変換していきます。

さっきまでの大論点の構造というのは、ある種の論理構造です。

「Aについてはこういう答えが出ています。Bについてはこういう答えが出ています。だから大論点への答えはこうです」と、論理としては答えが出ている。

でも人間って、あんまり論理をリストで並べられただけでは納得できないんですよね。

これは自分自身に対してもそうだし、誰かを説得しなきゃいけないなら、他人に対してもそうです。

なので、出てきた「論理的な問いと論理的な答え」を、「何を、どの順番で、自分あるいは他人に伝えるとうまく納得できるか」という形に変換する。

私はこれを「伝達モード」に変換する、と考えています。

これが二つ目のループです。

論点構造が固まってきて、その答えも分かってきた。本当に論理だけで動く機械なら、「問1はこれ、答えはこれ。問2はこれ、答えはこれ」と全部セットで提供すれば、「じゃあ大論点に対する回答はこれですね」と分かるはずなんです。

でも、人間の頭はそうなっていない。

だから「伝達モード」に変換してあげる。

では、どういう伝達モードにすればその人が納得しやすいのか。ここでも考えることがいくつもあります。

まず、メディアは何がいいのか。Wordがいいのか、PowerPointがいいのか、動画がいいのか、ホワイトボードに書くのがいいのか、ただ口頭で立ち話するのがいいのか。

そして、そのメディアの中にどういう形で載せるのがいいのか。

よくみんなが言う「ストーリー」みたいなものでも、神話っぽい構造がいいのか、論文形式がいいのか、パズルみたいな形式がいいのか。あるいは答えを隠して、相手と一緒に考えながら作っていくモードがいいのか。

自分自身が納得するだけなら好きにすればいいんですけど、論点を大事にするような仕事には、お客さんがいることが多い。

なので、そのお客さん、つまり受け手にとって、どういうモードがいいのかを選択することになります。そのモードに合わせて伝達モードに変換して、メディアを決めて、内容を決める。

ここで結構多くの人がやっちゃうのが、「伝達モード」を前提にして論点を作ってしまうことです。

「相手はこういうことを聞きたいはずだから、聞きたいことを埋めていこう」というやり方ですね。

でも、伝えることだけを基準に作ると、その中からロジックがゴソッと抜けることがあります。

人間は別に論理だけで納得するわけではないので、受け手が求める伝達モードの中では、必要な論理がゴソッと省略されていることもある。ただし、表面上省略されていたとしても、裏側では論理的に担保されていなきゃいけない。

なので、「伝達モードベースで論点を考える」という人は結構多いんですけど、これはもうド地獄ですね。あんまり良くない。

逆に、科学的なナレッジをたっぷり持っているような人は、「これが分かれば、分かったと言える」という論点構造を作り終わった瞬間に、そのまんま伝えちゃう。

「論点Aについて報告します。こうです。論点Bについて報告します。こうです」とやってしまう。

それもダメです。

論点構造は論点構造、伝達モードは伝達モードとして、切り分けて考える。これは、私が何かを考えるときにすごく意識していることです。

人に何か言わなきゃいけないときにも、「一旦、論点構造で考えたいな」と思う。論点構造で考え切ったとしても、「それをどういうふうに相手に伝えるかは別途考えよう」とする。

これが、調べる、分析するということをやったときの二つ目の経路です。

そして最後の最後、そこまで固まってから、「じゃあ資料にする」「プレゼンにする」というものを作る。これが三つ目の経路だな、という気がします。

ずっと前からやっている私のリサーチの講演では、「浴びる、磨く、口説く」という3ステップでリサーチをやりましょう、という話をしているんですけど、今回話しているプロセスと完全に対応しているわけではないにせよ、大きく言うとそんな感じです。

まず、論点を構造にするためにいろいろ考える。そのために、全身で「浴びる」ことをやる。

そこからシャープに内容を検証して「磨く」。

最後に、相手を説得する、納得してもらうために伝達モードに変換したり、良い資料を作ったりして「口説く」。

大きくは、そういう流れになっているかなという気がします。

こうやって書いてみると、私なりには「まあ当たり前だな」という気もするんですけど、意外とトラップは多いです。

例えば、一番最初に言った大論点をテーマの形で考えてしまって、「結局、それについて“考える”ってどういうことなんだろう」がうまく整理できていないとか。論点構造がふわっとしているとか。あとは、さっきの伝達モードと論点構造の混乱とか。結構あります。

さっき一瞬例に出した『誤謬論入門』には、「良い議論」を妨げる60個くらいのエラーが紹介されていて、どれを見ても「ああ、こういう人いるいる」という感じなんですけど、そういうことができる限り起きないように考えている、というのが私のやっていることですかね。

いざ話してみて、「これ、話したところでどれくらい伝わるんだっけ」という感じもあるんですけど。

もし、「もっと考えろと言われて困ってます」という人とか、周りに「この人、すごくよく考えてるな」と見える人がいるんだけど、どうやったらそれを再現できるか分からない人とか。あるいは自分自身は結構考えるのが得意なんだけど、「なんで他の人はそんなにできないのか分からない」という人とか。

そういう人がいたら、参考にしてみてもらえるといいのかもしれないですね。

あるいは、私も全然「考えることのプロ」ではないので、「いや田中、全然ここいけてないじゃん」とか、「こんなふうにしたらもっと良くなりますよ」とか、そういうものがあるんだったら、結構真剣に教えてほしいな、指摘してほしいなと思っています。

私自身は、すごく「しっかり考えられるようになりたい」と思っているんですよね。

「頭が良くなりたい」というより、「しっかり考えられるようになりたい」。

これは、とても思うことなので、ぜひ指摘のコメント、お待ちしております。

だいぶ普段の音声録音に比べて長くなっちゃいましたけど、楽しんでいただける方がいることを期待しています。

それでは、この辺で失礼します。

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