2026年9月19日
『おばあちゃんメソッド』を試そう。
Cobe Associe は、戦略と技術の問いを現場で検証可能な仮説に変える。
意識の高い人たちは、効率的な働き方を熱心に探求し続けている。なんでもスマートに、なんでも最適化する。ログをとり、AIを使い、ムダを省く。妥当な取組だ。
まぁそれもいいのだけれど、私が実践しているのは「おばあちゃんメソッド」である。おばあちゃんの動き方をみて「効率的やなぁ」と感じることはないかもしれない。しかしこの方法は無敵である。
おばあちゃんメソッドは、二つの原則で構成される。一つは、目にく気になることは即座に手を付けること。二つ目は、完成度はともかく「始末を付ける」を優先することだ。
おばあちゃんはあくまで概念上の存在だけど、思い浮かぶおばあちゃんはみなこの2原則を徹底して守る。一仕事を終えてこたつに入ったと思ったら、「あ、そうだそうだ」と台所に向かう。冷蔵庫から何かを持ってきてまたこたつに入ると、「そうだ、お皿も洗っておこう」とまた台所に立つ。洗い物を終えたら、そこにある台拭きを洗濯場に持って行って、そのまま洗濯機を回してこたつに戻ってくる。「あ、そうだ、クリーニング屋さんに電話しとかなきゃ…」玄関にある黒電話に向かう。一つひとつについて、優先順位を精緻に設計するなんてことはしない。ただ目についたものをそのままにしない。
効率厨の人なら発狂するかもしれない。こたつとの往復移動が無駄だし、急ぎでないものにもどんどん手を付ける。「まず紙に書き出して…」おばあちゃんはペンを持たない。
だれも薦めないけれど、私に一番あっている仕事の仕方はこれだった。まずはなんでも手を付けて初めてみて、終わりの目処がつくまではやりきってみる。緊急度や重要度は「目につくかどうか」の無意識判定任せだ。
仕事術の世界には、タスクをどう処理するかについて無数の理論がある。GTD(Getting Things Done)があり、重要度と緊急度で四象限に分ける方法がある。「一日の最初に最重要タスクをやれ」派もいるし、「認知負荷を下げるため簡単な仕事から片付けろ」派もいるだろう。平和なイデオロギー対立である。
たぶん、どれもそれなりに正しいはずだ。しかしそもそもなのだが、私たちは機械ではない。みな一度、おばあちゃんにならないか?。いままで信じてきた効率化手法を全部無視して、とにかくやってみて、とにかく終わらせてみる。
どうやるか?目についた気になったメールに短く返信する。机の上に積まれた書類にサインしたり捨てたり片付ける。請求書が届いたなら振込処理する。誰かに連絡しないといけないと思ったなら(他の全部を無視して)その場で電話をかける。手を止めない。無意識が吐き出すシングルタスクに、一心不乱に取り組むだけ。ただそれだけど
私の朝のオフィス習慣。ポストに入っている郵便物をみて必要なものをAdobe ScanでPDF化する。力尽きた掃除ロボットを充電ステーションに戻す。コーヒーマシンの電源を入れる。PCを立上げ返信するメールを選び改行なしのメッセージを打つ。冷蔵庫から水を出し、ポットの水を入替え、珈琲を入れる。お客さん先と共有しているチャットに返信したり、前日夜に仕込んでおいた自分向けメモを見ながらやることをパッと決めて、どんどんやる。書いていて思ったけれど、おばあちゃんメソッドの根幹は「パッと決めて、どんどんやる」これかもしれない。
適当に決めて、適当に手を付けていると、いつか破綻するだろう。細かな仕事が無限に発生する職場だと雑事対応で1日が終わってしまうかもしれない。しかし、一度くらい破綻させてみるのもいいものですよ?普通にやっても破綻しない仕事量でTodoアプリであれこれしたりするのは愚者の技。一度おばあちゃん化して、愚直に、自分の処理能力の限界までやってみる。それでも仕事が溢れるなら、そこで初めて仕組みを変えればいい。目につくものを減らす。ルーティンを作る。自動化する。誰かに任せる。
そして、始末をつけること。
“始末”という言葉が私は結構好きだ。始めて、末まで持っていく。何かに手をつけるだけではなく、ちゃんと終わった状態にすること。食べたら片付ける。洗い始めたら洗い終える(妻に毎度洗い残しを怒られるけれど)。送らないといけないものは送る。連絡すると決めた人には連絡する。おばあちゃんは、この「末」するのがうまい。
仕事も同じだ。始めと終わりだけなんとかできれば、間を埋めるツールはどんどん増えている。みんな大好きAIくんが調査やライティング、分析を進めてくれるし、現場仕事でもロボティクスや外骨格が効率向上を支えてくれる。お金がある会社なら専門家や外部サービスを使うこともできる。これだけ使っても仕事が前に進まないなら、それは始末の両方あるいはどちらかに問題に問題がある証左である。
仕事の「途中」を担ってくれる存在は、以前よりはるかに増えた。一方で、始まりと終わりは、なかなか外出しできない。だれも責任を持たない現場でそれは顕著である。そもそもなぜ、何をやるのか。何をもって終わりとするのか。出来上がったものを見て、どの基準でOKと判断するのか。あるいは、誰が差し戻す権限を持つのか。
起点はどこまでも人間にあり、そして最後成果物を受け入れるのも(いまはまだ)人間のみである。始めること。そして、始末をつけること。キリスト教の世界観では、はじめに神があり最後は神が世界を罰するわけだけど、ここは日本。永遠と続く輪廻の世界にあって始末を付けるのはやっぱり人間のお仕事である。
コンサルタントとしての私の仕事術はずいぶん原始的だ。目についたらやる。始めたら終わらせる。世の中にはもっと格好いい生産性メソッドがたくさんあるけれど、かっこよさはあくまで雰囲気であって、大事なのはとにかく、物理学が示唆するところの仕事をすることである。まずは力をかけて動かし、道中の摩擦をやりくりしながら、目標となる地点でそれを停止させること。
会社やサラリーマンが生まれる前から仕事というものは存在したわけで、おばあちゃんは彼らが生まれる前からいろんな仕事を片付けてきた。SNSでイキるビジネスパーソン推奨法は基本未検証のゴミである。歴史の試練に耐えてきたおばあちゃんメソッドを一度信じてみてはどうだろうか。
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