ニュースレター】自ら前提をおけるかどうか:『岩波茂雄伝』を読む📗
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自ら前提をおけるかどうか:『岩波茂雄伝』を読む📗
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岩波書店の創業者について、その友人である哲学者・安倍能成(1883~1966)が評伝した『岩波茂雄伝』を読んでいる。読み始めるまで知らなかったのだけど彼は同郷の信州人で、本書には諏訪や飯綱、野尻湖、飯山など馴染みのある地名がたくさん出てくる。当時の同級生は岩波茂雄をして「信州人の最もよい所を集めたような、純真多感で、素朴で、学問好きで、そして正義感と向上心の人並外れて強い、元気で気を負った青年(p62)」と評したようなのだけれど、現代の長野県民にどれほど当てはまるのだろう。自身と少しでもかぶるところがあるといいのだけれど。(純真および素朴を除く)
学生時代の岩波が強く印象を受けた言葉に、トルストイの「信仰なきところに人生なし」があるという。一高入学前から内村鑑三に傾倒した彼は、この言葉に触れた後キリスト教を学ぶも聖書・牧師の教えがともにしっくりこず、しかし基たる信心を手放さない岩波は「知るべきは我、求むべきは信仰」と言う。宗教が説く真理や理想について納得が出来なかったとしても、自らを見つめ、日々の掃除や家族孝行などに全力を注ぐこと。人生の価値は与えられるのではなく自らつくるべきであり、厳粛な自己反省を試みるとともに現在自己の尽くすべき事をなすことに価値を見出した。その実践が、岩波書店創業当初の”古本正価販売=値引きなし・交渉なし”であり、利益の見込めない地方への書籍通信販売である。私を含めたすべての読書家は、彼の信仰の受益者である。
思うに、信仰とは前提である。論や理を尽くした先にある結果ではなく、その人の論や理を支える前提に信仰がある。これは有効に働く場合もあれば、悲しい結果を招くこともある。自覚的に信仰を選んでいる人もいれば、知らぬ間にいろんな前提を纏って生きている人もいる。どんなに宗教と距離を取る人であっても、信仰から離れることは出来ない。職場で叫ばれる「売上は大事!顧客第一!残業は悪!」も、家庭の「家族が一番!健康が全ての基礎!」も、あらゆる判断や優先順位付けはその根底に信仰の要素を持つ。前提なしで導かれる論理はない。
無宗教の時代だ。後段紹介するUnherdの記事は、Z世代がドストエフスキーにハマる理由の一つに、彼が活躍した19世紀のロシアと現代世界はどちらも宗教が後退した時期だと指摘する。多くの国で宗教が弱くなり(だからこそまだ宗教の力が強く残る地域に対する恐れが高まり)、結果信仰の基盤がまるっと消失してしまった。そこに広がるのは虚無主義であり、問答無用の物質主義である。存在や快楽に前提はいらない。前提、つまりは信仰不要のものへの需要は高まるばかりである。
姿勢と工夫を扱う商売人としてあえて強い言葉を使うなら、能動的に前提をおけない人の頭から価値あるものが出てくることはない。多くの物事は前提を置かなければ解けない。信仰のないやつ、あるいは無自覚な人に出来ることは何もできないのだ。見せかけの論理を操ることは出来るかもしれないけれど、薄っぺらな主張や言葉に何の意味があるだろう(選挙以外で)。真理と混同しない限り、前提は私たちを前進させるパートナーである。「正しい前提を教えてください」「AIが正しいといっていました(それ以上はわかりません)」ということはあらゆる真理や前提にケチがつく時代の自己防御術なのだろう。そういう人ほど、自らが職場でAIに代替されることを恐れている。プロンプトを書くことは、前提をおくことである。
岩波文庫の名作『君たちはどう生きるのか』に出てくる北見くん(がっちん)が好きだ。頑固者で、「誰がなんてったって……」が口癖である。友人と口論になりかけたとき、彼が「誰がなんてったって…君が正しい」と言うシーンは名場面だ。彼は強い信仰を持っている。彼なりの理想像は強い前提と信仰の下に成り立っている。
世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいと気持ちを起こすことだ――(中略)――いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。「誰がなんていったって――」というくらいな、心の張りがなければならないんだ。
岩波茂雄伝の表紙で、同氏は下記の通り紹介されている。
低く暮らし、高く思う──。高らかな理想と志をもって時代と向き合い、あふれる活力と情熱で事業に邁進した岩波茂雄(1881~1946)
めちゃくちゃな人だ。村のみんなの代わりに託された伊勢詣のついでに鹿児島(!)まで足を伸ばしちゃうし、入学試験に受からなかったからといって校長直ネゴで裏口入学しようとするし、勉強にモチベーションが湧かずに2回も留年するし、フラれた勢い相まって「南米で羊飼いやる」と息巻いてしまう。しかし彼が多くの人に愛されたのは、彼が自らに課した人生の前提が魅力あるものだったからだと思う。『正義は最後の勝者なり』岩波茂雄が日頃好んだ格言だ。これを真理とみなすには現代社会はキツすぎるけれど、あまりに魅力的な信仰である。高く思え。正義はなくならない。
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